いつまで田舎にいるの?

日本を代表する大企業でのお先真っ暗な地方転勤に嫌気が差し、外資系起業に転職して東京から出ようとしない社会人4年目のブログ

恋愛と東京と

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東京駅の近くを歩いていたとき、懐かしい女性の姿が見えた。
スーツを身に纏い、髪は暗い黒色に染められていた。

もしかして…

 

 

ーーー

今から5年前の大学3年生のとき、好きな女性がいた。
当時のぼくは今より少しだけ恋愛に対して純粋で、
好きな女性とは普通に付き合いたかったし、デートもしたかった。


この女性とは付き合う前に3回行為に及んだが、
結果的に付き合えはしなかった。

彼女の心の隙間を一瞬だけしか埋めることができなかった。


そこで、思ったことがある。

付き合うという形式にこだわらなければ良かったと。

この女性には当時付き合っていた彼氏がいた。
そして、「別れる」と言われてから、半年が経過していた。

付き合えないことは明白だったのに、付き合うことに執着してしまっていた。

今思うのは、別に付き合うとか、付き合わないとか、そんなのはどうでもいいということ。
大事なのは、相手のために時間を使えているかどうか。

だけど5年前の自分にはそんな感情は一切なく、
どうしたら付き合えるか、どうしたらまたやれるか、どうしたらまたデートできるか。

そんなことばかりを考えていた。

じゃあ今は考えてないのかって?
そうだね、今は無。特に何かを考えてはいない。

絶対に付き合いたいだとか、今日は必ず持ち帰るだとか。

 

そんなことは一ミリも考えていない。

 


確かに昔の恋愛は楽しかった。
好きな人から連絡が来れば飛ぶように喜び、寝る間も惜しんで連絡を取り合っていた時期もある。

しかし、恋愛に力を注いだからといって、必ず成果が上がるわけではない。
自分がいくら一方的に好きになったところで、相手が必ず好きになってくれるわけではない。


今、自分が言う、例えば「好き」という言葉ある。
それは、目の前の女性が渇望してやまない言葉だと思う。
だから、「好き」という。

自分の感情なんてどうだっていい。突っ走る気持ちはちゃんと制御しないと。


そんなことを繰り返しているうちに、見違えるように隣にいる女性の見た目のレベルが上がっていった。
昔は「付き合えそうな人」を好きになっていたのだけれど、今は「付き合えそう」かどうかは好きを構成する要素にはない。

そして、昔付き合っていた人、もしくはそれに似た人を見ても、懐かしいだけで好意的な感情は一切わかなかった。

 


ーーー

悲しい。
好きだった人を好きでなくなること。

悩ましい。
恋愛による感情の振れ幅がほぼなくなってしまったこと。

嬉しい?
たくさんの女性と関係をもてること。


こうやってぼくは、今日も東京で生きてます。