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漫画『ヒカルの碁』は大人になって読み直すと、胸が熱くなる話だった

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最近、『ヒカルの碁』という漫画を読み直しています。

この記事を読んでいる皆さんも、名前くらいは聞いたことがあると思います。

 

今回の記事は『ヒカルの碁』に関する記事です。

あらすじや魅力など、胸が熱くなる理由について語っていきます。



 

 

 

あらすじ

ざっくりとあらすじをお伝えすると、『ヒカルの碁』は、小学6年生だった進藤ヒカルが、藤原佐為という人類史上最強の棋士の霊と出会うことで囲碁の道に目覚め、最強の棋士(通称:神の一手)を目指して努力を重ね、成長していく物語です。

 

人類史上最強の棋士のもとで囲碁を打つので、日本でトップの棋士の息子(塔矢アキラ)を初めての碁でいきなりボコボコにして大勝を収めてしまうんですが、「藤原佐為の力を借りて碁を打つのではなく、自分の力で打ちたい」と思うようになり、物語は加速していきます。

 

藤原佐為と出会うまではゲームやサッカー等、どこにでもいる普通の小学生だった進藤ヒカルですが、藤原佐為と出会ってからは囲碁漬けの毎日を送るようになりました。

 

全く囲碁に興味がなかった進藤ヒカルが囲碁部に入り、自分の力で塔矢アキラと対戦するのですが、今度は逆にボコボコにされ、「フザケているのか!」とブチ切れられ、非常に悔しい思いをさせられます。

 

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しかし、そこで物語は終わるはずもなく、「塔矢アキラに追いついてやる!」とプロを目指してさらなる努力を重ねていきます。

 

 

『ヒカルの碁』を読んでいると分かるのですが、どの話も囲碁に関する話です。

普通の中学生であれば、修学旅行だとか体育祭だとか、様々な学校行事があるはずですが、「囲碁のプロになり、塔矢アキラに追いつく」ことしか考えていない進藤ヒカルは、囲碁以外には目もくれません。

 

自分の中学生時代を振り返ってみると、川原で彼女とイチャイチャして学校に通報されたことがあるので、素直に進藤ヒカルのことを尊敬しました。

 

そして、プロになったあと、ある時を境に藤原佐為が消え、進藤ヒカル自身「碁を打つ意味が分からない」と腐りかけてしまうんですが、自分の打つ碁の中に藤原佐為を見つけ、再度プロとして碁を極めていく物語です。

 

読んだことがない人にも読んでもらいたいので、ネタバレを極力控えてあらすじを書きました。

 

 


 

 

 

『ヒカルの碁』の魅力

『ヒカルの碁』の一番の魅力は、「登場人物の囲碁に対する熱い思いが漫画越しに読者に伝わってくる点」です。

 

これは何も主人公の進藤ヒカルに限った話ではなく、ヒカルの碁に登場する人物全てに共通する点です。

 

これから先の人生で楽しいことも辛いこともまだまだたくさんあるような年端も行かない子どもたちが、「囲碁のプロ」を目指して奮闘していく姿には非常に感銘を受けます。

 

彼らと年を同じくしていた頃、ぼくは中学の同級生と暇さえあればゲームをし、部活動はサッカー部に所属していたのですが、部活中に泥団子をつくったりしていました。

 

なんて意味のない時間を過ごしてきたことでしょう…。

 

ヒカルの碁の連載がスタートしたのが1999年なので、当時ぼくは7歳でした。

そして、連載が終わる2003年には11歳になっているわけですが、当時はヒカルの碁を見ても、「ヒカル頑張ってんな~」くらいにしか思いませんでした。

 

「ハッキリ言って、漫画の世界のことだし、まぁ漫画だもんね。」くらいにしか思ってなかったと記憶しています(笑)。

 

 

しかし、27歳になった2019年にヒカルの碁を読み返すと、「囲碁を通じて毎日を懸命に生きている少年たち」に心を突き動かされるのです。

 

中学生から、”人生をかけて”囲碁の世界に足を踏み入れている子どもたちを目の当たりにすると、その決意の重さや、腹の座り方に度肝を抜かれます。

 

確かに、「あくまでも漫画の世界の話だから」と距離を置いてヒカルの碁を俯瞰することもできるのですが、社会人になって弾力を失い、人生をかけて仕事をしているわけでもない大人の胸には深く染みわたるモノがあります。

 

 

「中学生ながらに囲碁の道に生きることを決意し、切磋琢磨する彼らと同等かそれ以上に、何かに没頭し、努力してきただろうか?」と自分の人生を振り返ってみたりもするのですが、彼ら以上に努力していると胸を張って誇れることは1つもないということに気が付きました。

 

 

そして、囲碁!囲碁!!囲碁!!!という彼らを見て、人生を賭けてまで一つのことに集中する彼らをとても羨ましく感じました。

 

 

平日は毎日決められた時間に出社し、決められた時間働き、そして帰宅してジムに行くなりブログを書くなりする日々を繰り返しているぼくなので、「囲碁の世界に生き、囲碁の世界で死のう」としていく進藤ヒカルや塔矢アキラが非常に眩しく見えます。

 

 

塔矢アキラは進藤ヒカル(藤原佐為)に負けてから、「進藤ヒカル!進藤ヒカル!!」と、負けたことが悔しくて、次こそは勝ってやる!と、一度はプロではなく中学の囲碁部に入部します。

囲碁だけに限った話ではないですが、部活に入るとプロの試合に出られなくなるので、普通はプロを目指すようなレベルの高い人は部活には入りません。

 

しかし、塔矢アキラは違います。

 

進藤ヒカルに負けたことが悔しくて悔しくて、こんな状況でプロになってもトップの棋士になれないと、打倒を進藤ヒカル掲げて囲碁部に入部するのです。

 

そして、囲碁は団体戦なのですが、実力が上から順に大将・副将・三将を務めます。

塔矢アキラは囲碁部でももちろんトップの実力なので、順当に行けば大将なのですが、進藤ヒカルが三将であることを知り、部長や教師に「進藤と戦いたいから自分を三将にしていほしい!」と懇願するのです。

 

このシーンを見て泣きそうになりました。

 

進藤ヒカルに負けたからといって、プロになれないわけではありません。

でも負けたことが悔しくて、進藤ヒカルの通う中学校まで足を運んだり、なんとしてでも再戦しようという泥臭い姿を見て、「なんて熱い男なんだ!」と思いました。

 

 

それに引き換え自分は会社にブツクサ文句を言いながら毎日出社して、そうこうしているうちに27歳になってしまいました。

 

今までの人生、とにかく打算で失敗しないように生きてきたので、何かで全力でぶつかった経験ってあんまりないんですよね…

 

唯一9年続けたスポーツがサッカーなのですが、友達に誘われたことがきっかけで始めたもので、高校への進学を機に「自分にはプロになれるだけの才能がない」と悟ってやめてしまいました。

 

大学受験やその後の勉強、更には就職活動なども自分のやりたいことや目標としていることなど特になく、「失敗しないよう」にだけ生きてきたなあ…ということを痛感しました。

 

 

そんなぼくにとっては、囲碁の世界で己と向き合い、文字通り囲碁に命を懸けている人を見ると、なんだか自分まで胸が熱くなりました。

 

「懐かしいな~」と思って読み始めた『ヒカルの碁』ですが、懐かしさ以上に胸にこみあげてくるものがありまして、今回記事にしてしまった次第です。

 

 

 

『ヒカルの碁』で筆者が伝えたかったこととは?

ここからはぼくの勝手な解釈ですが、『ヒカルの碁』で筆者が伝えたかったこととは、「目標を持って努力することの楽しさと難しさ」だったのではないか?と感じます。

 

『ヒカルの碁』の主人公は進藤ヒカルなので、進藤ヒカルに焦点を合わせて物語が進んでいきます。

 

囲碁部→院生→プロ という順で話が進んでいくのですが、プロになった後は院生時代にしのぎを削りあった仲間はほとんど出てきません。また、囲碁部の面々も出ません。

 

進藤ヒカルがプロになる道中で、同じくプロを目指して散っていった院生もいれば、囲碁部の世界だけで終わっていった人たちも沢山いるのです。

 

その中でも「塔矢アキラに追いつく」という目標を掲げ、人類史上最強の棋士・藤原佐為と毎日囲碁を打ち、切磋琢磨していく進藤ヒカルを見て「自分も頑張ろう」という気持ちになりました。

 

目標は高ければ高いほど達成が難しいものですが、高い目標を達成したときの方が、感じる喜びや嬉しさも大きいですよね。

 

『ヒカルの碁』全体を通じて筆者が伝えたかったことは、まさにこの「目標を持って努力することの楽しさと難しさ」だったのではないでしょうか。

 

 


 

 

 

『ヒカルの碁』で1番グっときたシーン

 

藤原佐為が消えていくシーンです。

 

ヒカルの碁は、主人公は進藤ヒカルですが、最初からずっと藤原佐為と二人三脚で物語は進んでいきます。

 

「”何かのプロ”になるには、四六時中”何か”について向き合い続けなきゃいけないんだなぁ」と、藤原佐為を見ていて強く思うわけですが、そんな藤原佐為が自分の真の役目を理解し、「自分目的は果たした」と消えていくシーンがグッときます。

 

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延々と「碁が打ちたい、私に打たせろ!」と死んで1000年足ってもなお言い続けていた藤原佐為がフッと消えてしまうんです。

 

もう一人の主人公と言っても差し支えないレベルで物語をリードしていた人物が、途中で消えてしまうんですよね…。

 

それも、ちゃんとサヨウナラを告げずに消えてしまうので、悶々とします。

 

虎次郎が私のために存在したというならば

私はヒカルのために存在した

 

ならばヒカルもまた

誰かのために存在するのだろう

 

その誰かもまた

別の誰かのために

 

千年が二千年が

そうやって積み重なってゆく

 

神の一手に続く遠い道程

私の役目は終わった

 

そう思いながら、藤原佐為は進藤ヒカルの前から姿を消してしまいます。

 

そして、それから進藤ヒカルの前に二度と現れることはありませんでした。

今ある時間を自分のためではなく誰かのために使い、その誰かもまた別の誰かに時間を使って、そうやって人の世は廻っていくんだろうなあ…と感じました。

 

藤原佐為が消えていなければ、また別の物語もあったでしょう。

しかし、藤原佐為が憑りついたのが進藤ヒカルだったからこそ、千年の時を経て、藤原佐為は成仏できたんだと思います。

 

 


 

 

 

『ヒカルの碁』のお得な買い方

ぼくは引越が多くモノは多く持ちたくないので、AmazonのKindleでヒカルの碁を全巻購入しました。

 

しかし、出版されてから月日が経っているため、全巻セットが3000~4000円程度で購入できるようです…。

 

Kindle版だと全巻で9000円弱なので、半額以下で買えますね。。。

 

ヒカルの碁 全23巻完結セット (ジャンプ・コミックス)

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